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奥深 OKUJIN

OKUJIN

昔も今も地域に開かれた憩いの場。
時代とともにあり続ける深大寺

奥深大寺エリアでおよそ1300年という長い間、地域の人たちの拠り所となってきた深大寺。幼少期から周辺地域の人の営みに触れ、時代の変化を見続けてきた深大寺執事長 西島玄昌さんを、奥深編集長の薩川良弥が訪ねました。

地域の暮らしを支え、地域に支えられ今がある

薩川良弥(以下、薩川):西島さんはもう長く深大寺にいらっしゃると伺いました。

西島玄昌さん(以下、西島):25歳くらいのときに先先代の谷玄昭住職の弟子として入り、もう40年くらいですね。今は深大寺で執事長としてお寺の生活をしながら、ここから少し南にある池上院の住職も務めています。

薩川:古くからこの地にある深大寺は、昔から近隣に暮らす人たちの拠り所だったと思いますが、深大寺では地域をどのように捉えていたのでしょうか?

西島: 調布は名前の通り布をつくって税として納めていたので、多摩川の方に先に文化ができているんです。向こうが栄えてこの辺りはあまり人がいないから、仏教の修行をする場所としてふさわしいということで、人里離れたところに深大寺ができたということです。だからここは本当に「奥」なんですよね。

明治以前は「寺社領」という領地区分があったので、お寺の領地の中にはほかのお寺ができないわけです。北側は連雀通りくらいまで、東は仙川のあたり、西は天文台通りのあたりでしょうか。それくらい広い地域が深大寺の寺領でした。どの家もどこかのお寺の宗派に所属して身分をはっきりさせるという寺請制度がありましたから、寺領に住む方々は大体深大寺の檀家さんだったという時代があります。


薩川:まさに僕たちが「奥深大寺」と呼んでいるエリアです。メディア『奥深』は立ち上げからまだ2年くらいですが、このエリアで個人でお店をやっている方や地域活動をしている方、それから農家さんなどに取材させていただきました。調布駅からも三鷹駅からも遠いエリアなので、お客さんも近隣の方が多くて、みなさん周辺の方々との関わりをたくさん持っているというのがこのエリアの印象です。人のつながりが見えやすいですし、それが暮らしの充足感につながっているようにも感じています。深大寺と地域の方たちとの関わりは、長い歴史の中でどう変わってきたのでしょうか?

左から深大寺執事長 西島玄昌さん、奥深編集長 薩川良弥

西島:お寺と地域との付き合いという点ではあまり変わっていません。もともとの檀家さんとの結びつきがあり、みなさんにお参りに来ていただく。檀家さんたちからお布施をいただいていますし、地域の人たちが支えてくれているので、お寺が残っているということです。

その昔は大陸から仏教とともにさまざまな文化が伝わってきていますから、お寺がいちばんの情報の発信地であったと思います。近くにある深大寺小学校は、今もその名前が残っていますが、深大寺の寺子屋から始まったものです。また深大寺で毎年行われるだるま市は、江戸時代は農具の市でした。江戸の終わりくらいから養蚕が盛んになって、その繭玉がだるまの形に似ているんですね。少しでも繭玉が大きく育ちますようにということで、道具市がだるま市になっていった。私が子どもの頃は、だるま市の日は小学校も午前中で授業が終わって、社会科見学としてみんなでお小遣いを持っていきましたね。先生も見回りと称してだるまを買ったりしていました。そうやって地域全体で年に一度の大祭を楽しんでいたんです。 時代とともに宅地開発が行われて、今では新しくこの地に入ってきた方のほうが大勢いらっしゃるかもしれません。お寺は誰にでも開かれた場所ですし、地域に親しまれる場所として変わらずあります。訪れたみなさんが気持ちよくお参りできる場所であるということが、深大寺と地域とのいちばんの関わりなのかなと思います。

植物、動物、湧水。子どもたちが肌で感じる豊かな自然環境

薩川:本当に深大寺を中心に地域の暮らしができていたということですね。子どもたちにとっては、普段から遊びに行くような場所だったのでしょうか。

西島:昔は遠足は深大寺や植物公園でしたね。写生をしたり楽焼の絵付けをしたり。また今もそうですが、この辺りに来ればカブトムシやクワガタを捕まえられる。ザリガニもサワガニもいる。私も子どもの頃はそんなことをして楽しんでいましたけれど、もともと修行の場所として選ばれたくらいなので、夜になると人の気配のない寂しいところでした。

今は深大寺小学校の子どもたちが、地域の勉強ということで毎年深大寺にもやってきます。お寺の説明や行事の話をしたりして、最後に子どもたち質問を受けるんです。そのときに「お寺でいちばん大事なものはなんですか?」という質問がありました。

深大寺にはご本尊様や国宝になったお釈迦様や、重要なものが色々あります。そこで私は「みなさんは何がいちばん大事だと思いますか?」と質問を返してみました。すると子どもたちは「自然が大事だと思う」と。確かに深大寺は木々に囲まれて湧水もあります。また野鳥や動物も暮らしています。そういう自然の中にあるもの全てが深大寺にとって大事なものですし、お参りに来てくださる方も含めて、全てとご縁でつながっています。そういうところを子どもたちも感じてくれているんだなと思いました。

薩川:駅周辺のエリアは時代とともに大きく変化していますが、大人にとっても子どもにとっても自慢できる環境がずっとあるというのは、このエリアの大きな魅力ですね。

西島:確かに駅前は色んなお店がなくなり、いつの間にか大手のお店になっていたりします。でも駅から離れたところで、新たに小さなカフェができたりという変化も起こっています。それは仏教的な考えでは「無常」といいますが、地域もそうやって移り変わっていくものですね。この辺りも昔に比べたらずいぶん人も増えていますが、駅から遠く、少し不便さがあるからこその環境なのかもしれません。

まちをつなぎ共創のきっかけとなるみんなの拠り所

薩川:僕自身は数年前から積極的に地域に関わるようになり、この辺りのエリアに対する目線もすごく変わってきました。それまでは調布に暮らしていても、深大寺は観光に行くような場所だったんです。日常の中で年に何回か憩いを求めて、ちょっと息抜きしたりお蕎麦を食べたりという。それがこのエリアでたくさんの方と知り合って、色んな活動やつながりを知り、魅力が何倍にもなっています。みなさんと話していて感じるのは、信仰心を強く持っていなくても、このまちに住む方たちは深大寺に初詣に行きますし、友だちが遊びに来たら自信を持って案内できる場所と捉えているんだなということです。

西島:植物公園があってお蕎麦屋さんがあって、お寺がある。近隣の方たちがそれをいいところだと思って来てくださるということがありがたいですね。やはりお参りの方がいるからこそのお寺ですから。

薩川:そうやって地域の人たちが共通して誇りに思う場所があるというのは、とても貴重なことですね。特にこの奥深大寺のエリアでは調布市民だけでなく、三鷹の方も同じように深大寺を暮らしの中の拠り所として感じていると思います。その視点を前提とするならば、奥深大寺エリアで深大寺を起点とし、行政区分にこだわらないコミュニティを醸成していくこともできるのではないかと感じています。

西島:そうですね。深大寺としても、開かれた場所として地域の方に集まっていただくのは大歓迎です。調布にも三鷹にも深大寺をルーツとされる檀家さんはいらっしゃいますし、もともとは武蔵国の国府である府中のもとで、この辺りはみんな一緒の地域ですから。ただ、どうしても人の動きが駅に向かうということで、なんとなく意識が南北に分かれてしまうイメージはあるかもしれません。

薩川:南北の移動については道路を拡張するなどの動きもありますね。「奥深」もメディアとして、隣り合うまちをつなげていく取り組みに力を入れていきたいです。そのときに地域の人たちの中にある深大寺の存在が、人をつなげて共創を生み出すきっかけになるのではないかと思っています。

西島:世の中は無常ですが、周辺の環境も含めてかつての面影を残していくのがお寺の役目であると、先々代の住職は話していました。同時に「なんだか心が落ち着く」と感じていただければ、それこそがお寺の重要な役目でもあります。お寺は開かれていますので、みなさんにとっての憩いの場所と思っていただけたらいいですね。

Profile
西島 玄昌(にしじま げんしょう)

深大寺の執事長、1959年4月8日生まれ。
深大寺は約1300年もの歴史があります。国宝仏をはじめとする多くの文化財、緑豊かで湧き水流れる境内。名物の蕎麦をすすり、五感でお楽しみください。

深大寺

東京都調布市深大寺元町5-15-1 / 042-486-5511
〔参拝時間〕
【夏時間( 春分の日 ~ 秋分の日 )】開門5:00、閉門18:00
【冬時間( 秋分の日 ~ 春分の日 )】開門6:00、閉門17:00
Point!

奥深大寺推しポイント

おすすめスポットはJAXA調布航空宇宙センター
子供が小さいときに連れていき、楽しかった思い出がある。