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奥深 OKUJIN

OKUJIN

東京産オリーブオイルに挑戦。
まちなかに根付く都市農家

かつては雑木林だった里山も今では住宅地へと変貌を遂げた三鷹・天神山。“この地に生きる人々と共に、これからも豊かな風景を残していきたい”そう語るのは天神山で300年以上にわたり、土を耕してきた「天神山須藤園」の須藤金一さん。さまざまな挑戦を繰り返す都市農家として、まちなかに根付く農家として、どんな未来を描いているのでしょうか。

私の代わりはいない。銀行員から植木農家へ

――まずは就農までの経歴を教えてください。

須藤金一(以下、須藤):幼少期から祖父母、両親の農業を見て育ってきたので、いずれは自分も継ぐんだろうなと思っていましたよ。

須藤: というのも私は4人兄弟なのですが、男は私1人だけでして。昔から「お前に継いで欲しい」といった声は周囲から聞かされていたので、家業を継ぐことに抵抗はなかったですね。

――しかし、大学卒業後は銀行に就職されました。なぜでしょうか?

須藤: いつかは継ぐ気でしたし、父もまだ若かったので「まずは社会をしっかり見てきなさい」と両親に言われたんです。振り返ってみると社会の厳しさ、特に金融業界はノルマの世界だったので良い経験となりました。

――どんな経験が学びになりましたか?

須藤:「お金」を通して、いろんな業種や社会を知ることができたことは大きかったと思います。また、私の配属先は江東区で、材木卸しの街「木場」も担当エリアでした。あの頃の住宅の主流といえば、木材よりも鉄骨。だから、どの木材屋さんも苦しい状況だった一方で、代々受け継がれてきた家業を絶やしてはいけないと必死だったんですよね。そのときに、サラリーマンとしての自分の代わりはいるけれど、何代も続く須藤園の跡継ぎに代わりはいないと強く感じました。

――より覚悟が固まったわけですね。26歳のときに就農されましたが、何かきっかけはあったのでしょうか?

須藤: 1つは父親が農協の役員となり、常勤することが決まったため、人手不足になったこと。もう1つは私自身も結婚を控えており、ちょうど良いタイミングかなと思ったんです。

とはいえ、都市農家としては最悪なタイミングだったと思います。1968年に都市計画法が制定され、東京のほとんどのエリアは市街化区域(※)となりました。つまり、東京に畑はいらない、と国に言われているようなものでして。さらに東京には地方の農家がもらえるような補助金は一切なく、東京で農業を続けていく難しさを思い知らされました。

(※)市街化区域…おおむね10年以内に優先的かつ計画的に市街化を図る区域のこと

「現在でも東京に農地が残っているのは父親世代が政治的な運動を繰り返し、いろんな制度を勝ち取ってくれたおかげです」と語る須藤さん

――それは辛い状況ですね。

須藤: 先輩からは「理解者を増やすことが大事なんだ。だから諦めずにやるしかない」と励まされましたよ。そして、流れが変わったのは2008年ごろ。中国製の毒入り餃子事件があったじゃないですか? その頃から急に輸入品よりも国産品が注目されるようになりました。

くわえて、東日本大震災ではコンビニやスーパーから食べ物が一瞬でなくなってしまう怖さがあり、災害時には畑に避難された人もいました。やはり東京とはいえ「農地がある」、「農産物が生産されている」ということは、安心につながり、大事な場所だと認識した人が多かったのでしょう。

――東京にも農地が必要だと理解し始めてきたわけですね。

須藤: はい。今では直売所や軒先販売で野菜を購入される方も少なくありません。言わずもがな、野菜は鮮度が命。新鮮な野菜を食べていただき、ファンになっていただいたお客様から「美味しい」といった声が直接聞けるのはすごく嬉しいです。

須藤園では植木のほか、野菜や果実も育てている

次世代に面白い農業を。東京産オリーブオイルに着手

――須藤園では野菜や果実も育てている一方で数多くの植木を育てていますが?

須藤: 祖父の時代に野菜から植木にシフトしたんです。というのも、高度経済成長により街づくりが盛んになり、植木の需要が高くなると考えたそうで。

――先見の明があったと。ちなみに須藤さんが就農後に育て始めた植物もあるのでしょうか?

須藤: オリーブですね。以前から農協仲間と「これからはオリーブが流行るのではないか?」と話をしていまして。2010年ごろ、瀬戸内のオリーブ園を視察したことをきっかけに導入してみたんです。今となっては、オリーブもうちの主力商品となりましたよ。

オリーブ以外にも多く種類がある植木は頻繁に情報収集をしている。東京都農林総合研究センターでは新しい品種や樹枝をもらっているとのこと

――2020年には東京産のオリーブオイルにも着手されました。どんな背景があるのでしょうか?

須藤: 元を辿ると、2015年に制定された「都市農業振興基本法」が大きな後押しとなりました。要約すると、このときに初めて「都市(東京)にも農地はあるべき」と定義されたんです。この法律が制定されたことによって、農地の位置付けは180度変わりました。

ただ、法律や制度が改正され、都市農業にも追い風は吹き始めてはいますが、依然農地は減少傾向にあります。というのも、相続税に問題があるからです。例えば、親が亡くなり、子が農地を含む資産を相続する場合、東京は地価が高いため相続税も高額となります。

そこで農地に関しては相続税納税猶予制度が設けられました。この制度を利用すると農地部分(生産緑地に限る)の納税が猶予される代わりに、終身営農という条件が付けられます。しかし、農地以外の宅地部分(倉庫や屋敷林を含む)にかかる相続税を払うために、農地を売却することで納税している人も多く、農地は減少しているんです。

――それが東京の農地が減っていく一番の理由なのですか?

須藤: そうなんです。私としても親から受け継いだ農地は次世代に繋げていきたい。そのためには、子どもたちに「親が面白い農業をやっている」と思ってもらう必要がありました。東京初のオリーブオイルは私にとってチャレンジであり、楽しみなことなんです。子ども達に無理に継げとは言いませんが、私の楽しんでいる姿だけは見てほしいですね。

須藤園のオリーブ畑。現在はスペイン産2種類にイタリア産1種類を植栽。日本は地中海沿岸に比べて雨が多いため、水分量が多く、まろやかで食べやすいのが特徴だそう

大事なのは発信力。今では「東京産」が価値に

――須藤園ではオリーブオイルのほか、さまざまな商品開発をされています。そこまで行う農家さんも珍しいような……。

須藤: きっかけは、5年前の「夏みかんのマーマレード」になります。当時は植木の苗木として育てていたため、実である夏みかんを販売する気はなく、欲しい人に配っていました。ただ、農協の職員さんが畑に来たときに「夏みかん、販売しないんですか?せっかくなら加工しましょうよ」と言われたんですよね。

――たしかに、もったいない。それでマーマレードを?

須藤: はい。最初は“こんなの売れるのかな?”と思っていたんですが、製造会社さんが甜菜糖(※)を使ってくださったおかげで、非常にまろやかな甘みに仕上がっていたんですよ。それからJAの直売所で販売を始め、同時にオリーブオイルの製造も開始したこともあり、瓶やパッケージのデザインにもこだわるようになったんです。

(※)甜菜糖…甜菜(てんさい)から作られる砂糖のこと。上白糖に比べ、カリウム、カルシウム、リン、マグネシウム、亜鉛などの天然のミネラルが含まれている

デザインが一新された須藤園の商品。左からはっさくのジャム、夏みかんのマーマレード、本ゆずのマーマレード、オリーブリーフパウダー、オリーブオイル

須藤: デザインを変えたため、値段も上げてみたんですよ。売れなくなると思いきや、むしろどんどん販路が広がっていきました。近年では「SDGs」「地産地消」という言葉が頻繁に聞こえるようになり、都内にあるレストラン、ホテル、企業にとっても魅力的になったそうで。今年はインバウンド需要が増えたことで、銀座の百貨店が開催する「東京ジャムフェア」にも声をかけてもらいましたよ。

――「東京産」が価値になっているんですね。

須藤: また、美味しいことはもちろんですが、今の時代はどういう人がつくっていて、どういう環境で育ち、どのように製造しているか。こういったストーリー性が求められている気がします。

だからこそホームページやSNSでの発信が重要なんだと再認識しましたね。これまでの農家はなんとなく売れていることに満足し、全く発信せずにいました。しかし、これからは我々の仕事、商品、活動を発信していくことが消費者にとっては大切な情報なんだと思います。

――デザイン、味もさることながら発信が重要なんですね。須藤園の植木や野菜、加工品はどこで買えますか?

須藤: 植木や野菜は三鷹緑化センターで購入できます。加工品については駅前の観光協会のほか、軒先販売の自販機でも販売しています。また、近年では地域の仲間にご紹介いただいたパン屋さん、コーヒー屋さん、お菓子屋さんなど市内のお店にも卸していますよ。聞くところによると「地元の農作物を使っている」というのが、お店の強みとなっているそうです。

街に食と緑を届けたい。まちなかに根付く理由とは?

――須藤さんは「まちなかに根付くこと」を大事されています。その想いについて教えてください。

須藤: 結局のところ、都市農業は街の人の応援がなかったら消えてしまいます。さまざまな背景をお話しましたが、これまでも街の人が「東京にも農地を残してほしい」と声を上げたことで、世論の見る目が変わり、法律も変わりました。そのため、これからも地域の人には親しんでもらえるような農業を目指さなければなりません。 例えば、街中で農業をする場合、機械音がうるさかったり、風が吹いたときには砂埃が舞ってしまいます。私も何度も怒られた経験があります(笑)。東京らしい問題ですが、少しずつでも理解は得ていかなければならないと思います。

――理解を得るために、どんな活動をされていますか?

須藤: JA東京むさし三鷹地区青壮年部の部長のほか、地元の消防団に所属、町会ではお祭りや盆踊りの運営に携わってきました。また、三鷹市に農地を残していくことをミッションに、さまざまな講演活動や市・大学と連携した取り組みを進めてきました。

あとは中学校の農業体験を受け入れ、地域との関係を大切にしています。あ、今週末も地域住民と一緒に、竹の子の収穫体験を行うんですよ。オリーブの時期にも地域住民に手伝ってもらい、少しでも収穫の喜びを味わってもらえたら最高ですね。

――まちなかに根付く農業ですね。都市農業が大変な反面、世の中の見る目も変わり、やりがいも大きくなっているのでは?

須藤: そうですね。東京の農業がこれだけ注目されるようになったことは、やりがいですね。畑に来てもらい「面白い農業だ」、「緑があると気持ちいい」そういった言葉を聞けるだけで嬉しくなります。

――農業に触れてこなかったからこそ、新鮮で楽しいと思います。

須藤: 日本の十人に一人は東京に住んでいます。なので、私たち都市農家がちゃんとした農業をやることで、日本の農業の理解にもつながっていくと思うんです。

昨今、物価が上がり、肥料や資材が高騰しています。しかしながら、農産物の市場価格はなかなか上がりません。そうなると再生産可能価格ではなくなり、農家は衰退していきます。私は農業の楽しさだけでなく、そういった危機感も国民に伝え、自国で農産物を育てることの大切さを伝えていかなければならないと思っています。

――地方の農家も苦労されていますもんね。

須藤: そうなんです。よく地方農家の仲間からは「これだけ周りに消費者がいて直接販売できるのは最高に羨ましい」と言われます。彼らの場合、市場に出荷すると、誰が食べるかまではわかりません。

そこで、交流のある地方農家には三鷹に来てもらい、一緒に直販をやるんです。そうすると、地方農家はもちろん、地域住民もすごく喜んでいただけるんですよ。鮮度抜群で、スーパーに並んでいる品物と全く味が違いますから。

――Win-Winの関係ですね。

須藤: 東京に農家があることで農業を身近に触れてもらう。さらに、地方農家と協力することで日本農業の理解へ繋げる。これは都市農家の仕事として、すごく大事なことだと思います。

――素晴らしいと思います。最後に須藤さんの展望を教えてください。

須藤: 須藤園としては街に植木、ひいては緑を供給すること。くわえて野菜、果実、加工品など自然の恵みを味わってもらい、喜んでもらう。やはり私の目標は街に食と緑を届けることです。それこそが都市農業の面白さであり、私の役割ですから。

Profile
須藤 金一

三鷹で 300 年以上に渡り農業を営む天神山須藤園の 14 代目。一橋大学経済学部を卒業後、(株)三和銀行(現 三菱 U F J 銀行)に入行。銀行員として、様々な業種との関りの中で「経営」を学ぶ。26 歳で家業の「天神山須藤園」を継ぎ就農。植木生産農家として都市に緑を供給。また、2020 年より新たな取り組みとしてオリーブオイルの生産に挑戦中!地域の仲間と共に都市農業の価値を広く伝えるべく、日々精力的に活動している。

天神山須藤園

Point!

奥深大寺推しポイント

深大寺と言えば深大寺そば。自分の推し蕎麦店を見つけるのも楽しいです。
また、近くを流れる野川の桜は桜花期にはライトアップされてとても美しいスポットです。自然豊かな奥深大寺を散策すると気分もスッキリ、素敵なお店も色々あるので、是非遊びに来てください。