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奥深 OKUJIN

OKUJIN

やりがいは“思い通りにいかない野菜”と
“顔の見える直売所”

神代植物公園の北側、武蔵境通り沿いにある「篠宮農園」の直売所。緑豊かなこのエリアで農業を営む篠宮稔さんと和枝さん夫妻が、毎日自ら店頭に立ち、お客さんとやりとりして収穫したての農産物を販売しています。

植木、養豚、そして野菜。深大寺北町で育まれてきた農の営み。

稔さんが篠宮農園で農業をするようになったのは15年ほど前。篠宮農園は妻である和枝さんの実家の家業でした。母屋の裏手に広がる畑とビニールハウスで、当初は義父母と4人で、世代交代してからは稔さん夫妻が2人だけで、いくつもの季節の野菜や果物を育ててきました。

「この辺りは植木屋さんが多くて、うちも昔は植木を売っていた時代があるそうです」。篠宮農園の歴史を稔さんが教えてくれました。

「植木をやりながら畑の一角で豚を育てるようになり、時代とともに植木が売れなくなって、次第に養豚が軸になっていったと聞きました。昭和50〜60年代くらいかな。養豚は植木よりも売上は良かったけど、生き物相手なので本当に365日、朝から晩まで休みのない仕事だったらしいですね。そのあとは豚も減ってきたので野菜を育てるようになって、現在の篠宮農園になりました」

篠宮農園が野菜をつくり始めたのは20〜30年ほど前のこと。当時のこのエリアは今よりもずっと住宅が少なく、雑木林に囲まれていたそうです。その時代の地主たちが歳をとり、相続などで雑木林がなくなり住宅が増えていったのは「この何年か」だと稔さん。住宅地には子育て世帯が増え、スーパーでしか野菜を買ったことがないという若いお母さんたちが、直売所に来てくれるようになったといいます。

結婚を機に調布の農家となった稔さんでしたが、農業とのつながりは実は生まれたときから。話を聞いてみると、もともと稔さん自身も農家だったことがわかりました。

「私の実家も農家で、結婚するまでは葛飾区の実家で農業をやっていたんです。向こうは面積が狭いので、ハウスを建てて生産の回転率がいい小松菜を専門的につくり、市場に出荷していました。それがこっちに来て、色んなものをつくって自分で直売所で売るという多品目の農業に変わった。直売所で小松菜だけ並べていてもお客さんは来てくれないからね」

葛飾から調布へ。それぞれの土地の農業。

現在は年間を通して20〜30品目ほどを栽培しているという稔さん。それまでやってきた自分の農業を変えるのは、時間もエネルギーも少なからず必要だったのではないでしょうか。

「文字通り“畑違い”でしたね。土も違うし、何より気候が違った。葛飾よりも寒いんです。特にこのあたりは調布の中でも少し高い場所なので、朝の冷え込む感じが全然違う。だからこの時期にこの種を播くというような、それまで体に染み込んでいた農作業の暦が、全くその通りではできなくなりました」

その土地の風土や気候に合った農業のスタイルを、畑で実践しながら見つけていく。やってみないとわからない。そこが農業の面白さでもあると稔さんは捉えているようです。

「農業に限らないけれど、やっぱり自分で体験しないとできるようにならないですね。野菜は基本的には1年に1回しかチャンスがないものだから、今年失敗したらまた来年チャレンジするしかない。やりながら毎年覚えていくんです。だんだん歳もいってくると、去年の失敗なんて忘れちゃったりもするんだけど」と笑いながら、何年経っても毎回毎回が挑戦であることを教えてくれました。

葛飾と調布という、同じ東京でも全く違う農業を経験してきた稔さんですが、そもそも農家になることを意識したのはいつ頃だったのでしょうか。

「私たちの世代だと、農家の長男は、もう自然と農家になっていく気がします。私も親に農家をやれといわれたことは一度もなかったけれど、やっぱり自分がやるんだろうと思っていましたね。洗脳とか教育ではなく、DNAに入れられちゃっているというか、そんな感じがするなあ…」と稔さん。自身の環境を受け入れ人生を歩む姿勢は、必ずしも思い通りにならない毎年の成果を受け止めて、次へ次へと向かい続ける稔さんの農業と通じるものがあるようでした。

そんな農家の長男が家を継がずに別の土地の農家を継ぐというのは、あまりないケースなのでは。どちらの家にとっても、なかなか難しい選択を迫られた出来事だったのではないでしょうか。そこにどんなドラマがあったのか…。終始穏やかに話をしてくれる篠宮さんのストーリーに、編集部は興味津々です。

「私は長男だから、自分だけが家のことを考えているんだろうと勝手に思っていたんです。でも4人兄弟の一番下の弟が私の話を聞いて、“うちは俺がやる”と。当時弟は公務員だったんですけど、兄たちがダメだったら最後は自分がやるつもりで公務員になったというんです。すでに弟は結婚して子どももいたので、素直に“すごい奴だな”と思いましたね」

言葉にできない葛藤やいくつもの決断があり、たくさんの人の思いが重なり、篠宮農園は続いていきます。

エネルギーの源はお客さんからの生の声。

篠宮農園の特徴は、何といっても大通り沿いに毎日開く直売所です。無人販売やコインローッカー式の直売所が大半を占めるなか、ご夫婦のどちらかが必ず店頭に立ち、お客さんを迎えるやり方を貫いています。

「有人でやっているというと大変そうに思われるけれど、実際は朝お店を開けて11時くらいまで。忙しい時期でも直売所はお昼くらいまでで、その後はスーパーに配達したりして、午後は畑に出ています。毎日同じ時間に同じようにやっていると、お客さんもそこに合わせて来てくれるようになるんですよね」

それでも、例えば直売所を無人にすればその分畑に注力できることは間違いないわけで、そういう方向転換を考えることはあるかと聞くと、「皆無です」と即答する稔さん。「やっぱりお客さんに売るのが楽しい」とその理由を教えてくれました。

「百姓でずっと畑で野菜をつくっていると、人と喋る機会が本当になくなってしまう。直売所はお客さんとのコミュニケーションがあるから続けています。声をかけてもらうとやっぱりモチベーションになるんですよね。“おいしかったからまた買いに来ちゃった”とか、“そろそろあれが出る時期じゃないの?”って収穫を楽しみにしてくれるお客さんもいます。そうすると、また一生懸命つくっちゃおうかなと思いますね。お客さんの顔ぶれによって、季節や世の中の野菜の値上がりを感じることもあったりして、いわゆる顔が見える関係性というのが楽しいですね」

篠宮農園のお客さんの中には、竹の子やアスパラ、ブルーベリーなど、1年に1度の旬の味を心待ちにするお客さんも少なくありません。カゴにどっさり入った芋類は、必要なだけ購入できる量り売り。また、たびたび店頭に登場する「B品」のシールが貼られた野菜にもファンがいます。

「B品というのはスーパーの規格に合わないものなどで、破棄するのではなく直売所に出しています。それを目当てに来てくれるお客さんもいるし、畑を耕して肥料をやって水やって、時間をかけて育てた野菜だから、どんなに安くてもお金に変えないと意味がないと思っているんです」

稔さんに話を聞き写真を撮らせてもらっている間にも、直売所にはどこからともなくお客さんが訪れ、思い思いに野菜を手に取る姿が見られました。1人1人の滞在時間は決して長くはありませんが、ポツリポツリと言葉を交わして帰っていきます。そんな直売所の風景で、稔さんが印象に残っているお客さんのことを教えてくれました。

「かなり年配のお母さんとその息子さん。息子さんが病院に送り迎えしているようで、帰りにいつも寄ってくれていたんです。ちょっとぶっきらぼうな息子さんだけど、すごく周りに気を遣っているのがわかる息子さんだった。よく来てくれていたんだけど、あるとき息子さんが1人でやってきて、お母さんが亡くなったことを教えてくれました。もうおいおい泣きながら、“もっと叱ってほしかった”とか話してくれて。直売所に買い物に来てくれるお客さんは、名前も知らなければどこから来るのかも分からない方がほとんどだけど、いつも来てくれる方は私たちも顔を覚えているし、親しみの気持ちが生まれたりもするんです。その親子のやりとりや関係性をいつも見ていたから、それを伝えに来てくれた息子さんの気持ちが本当にたまらなかったですね」

大切な宝物のようなエピソードをお裾分けしてくれた稔さん。こんな気持ちのやりとりが生まれるのが、顔を合わせる直売所の醍醐味なのかもしれません。どこの誰かも知らないお客さんとのコミュニケーションが稔さんのモチベーションとなり、篠宮農園は来る日も来る日も収穫した野菜を並べて直売所を開きます。

ついでにもう一つ、毎年初ものに行列ができるアスパラを巡るユニークなエピソードも教えてくれました。 「アスパラは切った瞬間に水が垂れるくらい、採れたての鮮度のすばらしさがあるんです。だからスーパーに並ぶものとは全然違う。それであるお客さんが、“今までは北海道から送ってもらってたけど、こっちの方がおいしいから北海道に送ってやったわよ”って」。なんだかイソップ童話に出てきそうな、愛おしさのある話。「野菜を売る—買う」という日常の中に織り込まれていく無数のストーリーが、篠宮農園の直売所にはあるのでした。

終わらないチャレンジと尽きない面白さ。

農家になり30年以上となる稔さんですが、農家を辞めたいと思ったことはないと迷わずにいいます。

「家族でやっていると、家の中の関係性がうまくいかない時期があったり、難しいことはもちろんありますが、野菜づくり自体に嫌気が差したことはないですね。ほぼ思った通りにいかないところが面白いのかなあ。毎年少しずつやり方を変えてみて、たまにイメージ通りにできる。それをお客さんが買ってくれておいしかったといってくれると、やっぱり楽しくなっちゃいますね」

Profile
篠宮 稔

1963年、葛飾区の農家に生まれる。好きな野菜はとうもろこし。幼少期の遊びといえば草野球で、農家になった今は野球観戦を楽しんでいる。千葉ロッテマリーンズのファン。篠宮農園では、地域の保育園や小学校の芋掘り体験、畑見学などに協力し、毎年たくさんの子どもたちが畑や直売所に訪れている。

篠宮農園直売所

調布市深大寺北町 3-21-6 / 営業時間 4〜9月は毎日9:20〜お昼前くらい(10〜3月は金曜定休)

※調布市内の複数農家で構成される「神代農産物直売会」にて、JAの神代農産物直売所やクイーンズ伊勢丹仙川店・武蔵境店、いなげや調布仙川店にも出品しています
Point!

奥深大寺推しポイント

深大寺五差路付近の桜。樹高が低く、目線の高さに咲き誇る桜の花が楽しめます。このような距離感で桜を感じられるところはなかなか無いので、この場所はちょっと特別かなと思います。